体に宿る神

新しい年を迎え、多くの方が初詣に行かれたことと思います。賑わう社寺を参拝すると、スタートの緊張感や希望が心地良く胸に去来します。昨年の感謝をする人、新年の無事や平安を祈願する人、目標達成を誓う人、お参りの目的は様々ですが、最も神仏を身近に感じる時節といえるでしょう。

漢方における体の見方の中には、体の構造の中に神的なものが宿っているために生命活動を営むことができるとする概念があります。

約二千年前に書かれた古典『黄帝内経(こうていだいけい)』には「心は神を蔵する」「心は君主の官。神明ここより出づ」といった記載が見られます。心は五臓六腑の一つで、君主に例えられるほど中心的な存在です。その心が神を内包しているというのです。心の働きには大きく分けると二つあるとされています。一つは拍動によって血液を全身に輸送する働きです。もう一つは精神活動・思考活動つまり「こころ」をつかさどることです。心に神が存在することによって、人の根源的な血液循環・思考といった生命活動が維持されているというのです。

心を中心とする五臓ですが、他の肝・肺・脾・腎には、それぞれ魂・魄・意・志が蔵されています。心に蔵される神とこの四つを併せて五神と称します。つまり五臓にはすべて神が蔵されていて、その頂点に心の神があるということになります。

内臓の「臓」という字は体と関わりがあるため、肉月を偏としていますが、古典では「蔵」の字が使われています。五臓は「五蔵」と表記され、神を蔵する場所なのです。神がなければ五臓はただの抜け殻です。五臓を機能させ、体を動かす不思議な力を神霊によるものと考えたのかもしれません。

『黄帝内経』には次のようなことも書かれています。「心の蔵する神が正常でなければ、他の臓腑組織も必ず弊害を受け、気血の流れは通じなくなり、身体は大いに損傷を受けます。国家も君主がしっかりしていないと、民衆が災難を受けるようになることと同じです。このことは、重ね重ね慎重にならなければなりません。」社会の仕組みになぞらえて、養生によって神を養うことの大切さを説いています。

神仏は大変尊いものです。そして私たちに与えられた生命もまた有り難いものであることをいにしえの人たちから学んだ気がします。